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農業写真家 高橋淳子の世界
鈴木貞夫のインターネット商人元気塾【バックナンバー】

農業写真家 高橋淳子

1956年一橋大学卒、同年現池袋パルコ入社、1976年サンチェーン代表取締役社長、


1989年ダイエーコンビニエンスシステムズ代表取締役副社長、1995年ローソン相談役、


1999年ローソン親善大使。現在ソフトブレーン・フィールド(株)特別顧問。


1992年(社)日本フランチャイズチェーン協会常任理事、副会長を歴任 。鹿児島出身

鈴木貞夫氏(すずきさだお)
1934年1月3日生

【10月号】
<私の商人哲学の原点>

(その四)『 忘恩負義・報恩正義 』


第四は、<報恩正義>に徹するである。
仏教に、<忘恩負義・報恩正義>の法理がある。
日蓮の報恩抄に、人間として報ずべき四つの恩、「父母の恩」、「師の恩」、「衆生の恩」、「国土の恩」がある。
日蓮は、「知恩をもつて最とし、報恩をもつて前とす」と述べている。
私は日蓮仏法を信仰して約40年になるが、報恩は人間性の発露であり、感謝する心であり、これが人間の道であると確信する。
私が流通人生50年を、波乱万丈、有為転変の中で生き抜くことが出来たのも、その時々に、良い先輩や、友人そしてご縁のあった方々に恵まれ続けて、その人たちのお陰で今があると、心の底から思っている。皆、恩人であり、いつまでも忘れまいと決意している。

人は、地位や権力を持つと増上慢になって、忘恩に陥りやすい。
忘恩の人は、感謝する事が出来ない。礼を忘れる。心の奥底に、傲慢の心があるからだ。
感謝すると自分の値打ちが下がる、と錯覚している。
人間は、今の自分があるのは、誰のお陰か、自身の原点を知るのが知恩である。
そして、自分を生み、育て、守り、応援してくれた人々、更に、自分とつながる全ゆる人々に感謝し、その恩を行動に移していくのが報恩である。
報恩の人は、緑を見て、過去に樹を植えた人のことを思う事が出来る。
歴史を尊重し、過去に思いを遣れる人は、未来のために献身する事が出来る。
現在を生きるためには、過去を見つめなければならず、未来を構築するには、歴史を知らなければならないからだ。
感謝の気持ちを忘れない人は強い。困難や試練に出遭っても挫けない。
未来に向かって、自らを育み、人材を育てる事が出来る。
孤立した個人ではなく、報恩の関係性の中でこそ、全ての個人が鼓舞され、力を持ち、「同志団結」の連帯を広げ、後進の人々のために道を拓いて行くことが出来る。
企業も同じである。高慢な自信過剰で、視野が狭くなった企業は、顧客の二―ズを聞くどころか、顧客にニ―ズを押し付けるようになって、必ず躓く。その例は枚挙に暇がない。

報恩の生き方こそ、商人の目指すべき生き方であり、お客様第一主義の道である。
如何なる困難、試練にあおうとも、自分を支えてくれる人々に感謝し、どこまで思いを馳せられるかが、企業発展の土台であり、豊かな社会を築く鍵であると思う。
このことを、確かりと次の世代に語り伝えていきたい。



(その五)『ケネデイ・コンシユ―マ―ズ・ドクトリン』


第五は<ケネデイ・コンシユ―マ―ズ・ドクトリン>の具現化である。
1962年、丸物百貨店に勤めていた私は27歳、まだ商人修行中であつた。
その年、米国のケネデイ大統領は、特別教書で、『消費者の四つの権利』を発表した。
そして同時に、現在のFMⅠの前身、全米ス―パ―マ―ケット協会の第25回年次総会に「サイレント マジョリテイである消費者の権利を守ろう」と、格調高いメッセ―ジを送った。この事は私の深く師事した中内功氏が、かつて日本経済新聞の『私の履歴書』に、「ケネデイ大統領のメッセ―ジを聞いて、自分の進むべき道が決まった」と、感慨を込めて書いておられる。
ある意味で、戦後日本の流通革命の道程が、本格的に始まる契機となつた、重要かつ歴史的なエピソ―ドである。
『消費者の四つの権利』とは、
1・「安全を守られる権利」
1・『情報を知らされる権利』
1・「選択できる権利」
1・「意見を聞いてもらう権利」、である。
これは後に、『ケネデイ・コンシユ―マ―ズ・ドクトリン』と呼ばれ、消費者主権の基本的な指針となつたのである。
そして次第に、「消費者被害救済を求める権利」や、「消費者教育を受ける権利」、「健康な環境を求める権利」、さらに「取引条件の決定に参加する権利」へと広がりを見せ、「人間としての生活を最優先に守る基本的な権利」として、生活者主権の考え方へと発展してゆく事になる。


奇しくも同じ年1962年に、ア―カンソ―州の田舎町でスタ―トした「ウオルマ―ト」は、着実に基盤を固めて躍進し、創業30年の1992年には、世界最大の巨大小売業に成長した。
「ウオルマ―ト」の急速成長は、あたかも消費者主権拡大の主役という歴史的役割を担っていたのように見えた。
それからも快進撃が続き、今や、世界の各地に進出して注目の的である。
その背後には、創業者サム・ウオルトンが、生涯を賭けて磨き上げた消費者主権実現に向けての<A CHANGⅠNG COMPANY>と<A LEARNNⅠNG COMPANY>の経営哲学が、組織の隅々まで深く浸透し、伝承されているからに違いない。
だが、あまりに巨大化した『ウオルマ―ト』が、サム・ウオルトンの王道から、覇道に転じることがないよう祈りたい。


私が「ケネデイ・ドクトリン」を知ったのは、30代始め、愛読していた雑誌「月間食堂」で、渥美俊一先生のチエ―ンストア理論を知った時である。
飲食業の非近代性の克服をチエ―ン展開に求め、外食産業を構築しようという壮大な渥美理論に鮮烈な感銘を受けた。
私は求めていた使命感を得、以来、片時も忘れたことはない。


ケネデイ大統領は、その翌年、悲運にも暗殺に倒れたが、彼の残した『ケネデイ・コンシユ―マ―ズ・ドクトリン』は、時を超え、所を越えて、21世紀の生活者主権の時代に、流通に携わる者の永遠の指針として、受け継がれていかねばならない。


( 次回、(その六)『 ハッピ―ワ―キング 』に続く)

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