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鈴木貞夫のインターネット商人元気塾
鈴木貞夫のインターネット商人元気塾【バックナンバー】

鈴木貞夫

1956年一橋大学卒、同年現池袋パルコ入社、1976年サンチェーン代表取締役社長、


1989年ダイエーコンビニエンスシステムズ代表取締役副社長、1995年ローソン相談役、


1999年ローソン親善大使。現在ソフトブレーン・フィールド(株)特別顧問。


1992年(社)日本フランチャイズチェーン協会常任理事、副会長を歴任 。鹿児島出身

鈴木貞夫氏(すずきさだお)
1934年1月3日生

【3月号】


<コンビニ創業戦記> 第12回
・・・ローソンのルーツ「サンチェーン創業物語」・・・


「サンチエーンの創業」
<T・V・Bサンチエーン時代(その6)>
--全国展開の布石--


昭和53年(1978)は、成田国際空港が厳戒態勢の中で開港し、永年の外交課題であった日中平和友好条約が調印され、また青木功が英世界ゴルフマッチプレー選手権で優勝、日本人初の海外制覇をなし遂げた、歴史的な年であった。

 

創業二年目に入ったこの年、サンチェーンは三つの大きな布石を打った。
一つは、社員独立による「サンチェーン・ファミリーチェーンシステム」の発足であり、
二つは、人材育成のための道場としての「サンチェーン流通学園」の開設であり、
三つは、「関西」、「東海」、「九州」、「北海道」、「東北」地区への全国展開のスタートである。

 

第一の「サンチェーン・ファミリーチェーンシステム」は、ハワイ商法の社員独立制度をコンビニに応用した、一種の暖簾分け制度といえよう。
当時サンチェーンには、セブンイレブンのように、最初から本格フランチャイズを展開するには、システム・ノウハウが、未だ確立していなかった。
そこで、独立希望の社員を募集し,一定期間の店舗勤務経験を積んだ後に選抜し、フランチャイジーとして独立させる制度を考えた。
当初は、加盟金も少なく、契約期間も短く、ロィヤリティも低めに設定して、独立し易い契約条件で作った。
初めから完全を求めるのではなく、走りながら、試行錯誤の上、修正を積重ねて、仕組みの精度を高めていこうと云う考えであった。
昭和53年2月、栄光の第一陣サンチェーン・フランチャイジー4名が独立した。
その後、出店の増加と歩調を合わせて、毎月のように、社員オーナーが誕生していった。
以来30数年、この社員独立制度は、彼ら社員オーナー達との共創の知恵を重ねて幾多の進化を遂げながら、現在もローソン・チャレンジオーナー制度として脈々と生き続けている。
その間、ダイエーグループ社員を含めて2000人にのぼるチャレンジオーナーを輩出して、ローソン全国加盟店の三分の一を占めるまでになっている。
このチャレンジオーナー制度無くしては、今日のローソンは無いと云っても過言ではないと思う。
サンチェーン出身のチャレンジオーナーは、関東、東北、北海道、東海、関西、九州などの地域で、今や、それぞれに中核的存在として重きをなしている。
チャレンジオーナー達は、当時は本部のシステムも確立しておらず、又、コンビニの24時間営業を充分にサポートする業界の流通の仕組みも、現在に比べると殆ど無いに等しかったから、最初の内は、発注でも、値付けでも、在庫管理でも、何よりも従業員の確保に、大変な苦労を強いられた。
事実、中には挫折して行く者も居ないわけではなかった。
だが、厳しい試練を不眠不休で乗り越えて勝ち抜き、今日、複数店経営で頑張っているオーナーも少なくない。
その中の一人に、余田利通オーナーがいる。
余田オーナーは、昭和52年12月、第44期生としてサンチェーンに入社、翌年サンチェーン・フランチャイジーとして念願の独立を果たした。
それからの血の滲むような、粉骨砕心の努力で、現在は東京都心に、ローソン赤坂9丁目店を初め7店舗のオーナーとして事業家的経営者となっており、ローソンオーナー福祉会理事長としても信頼厚く、大活躍しているのは嬉しい限りである。

 

第二の「サンチェーン流通学園」の開設は、急速拡大を支える人材の確保とその養成を目指したものであった。
かねて私は、
「サンチェーンは人材を創る会社であり、流通革命の学校である。
いま、流通産業小売業の社会的使命は益々重要になりつつある。
時代は生産の時代から商業の時代に転換しつつあり、商業が良くならなければ世の中は良くならない。
より豊かな、より暮らしよい社会を創っていく使命は、我々小売業にある。
そういう使命を果たしていける人材、流通革命の戦士に、我々一人一人が育っていかなければならない。」と社内で熱く主張し続けていた。
全国展開を始めるに当たり、それまでの茗荷谷本社5階での合宿研修会場は、スペースといい、環境といい不十分であり、人材育成の専用拠点の整備は急務であった。
多くの候補物件の中から、千葉県八千代市内に、即時使用可能と周辺環境が良いという事で、100名の宿泊が出来る、敷地約600坪5階建て「元紡績会社社員寮」を、自社物件として購入した。
昭和53年11月9日、秋晴れの中、「サンチェーン流通学園」は、私のテープカットで開校した。
流通学園という名称は、「将来は、流通の全てを教える学校にしたい」と云う私の夢からの命名であった。

 

流通学園開設担当メンバーは、浅野学さん(現ローソン取締役CRO)、田原房夫さん(現ローソン開発本部)、渋谷清明さん(現ローソン吹田江の木町店オーナー)の3人で、何れも健在であり喜ばしい事である。

 

サンチェーン流通学園は、平成1年(1989)3月、サンチェーンがローソンと対等合併する時まで約10年間、サンチェーンマン練成練磨の道場として、社員及び加盟店オーナー研修の役割を担い続けた。
その間、北海道から九州まで、流通学園の研修に参加した全国のサンチェーン同志は,5千人を越えるものと思う。
サンチェーン流通学園の卒業生の中から、コンビニ業界は云うに及ばず、幅広い分野で活躍していく人材が数多く輩出していった。

やがてこの経験は、平成6年(1994)、ローソン5000店達成記念として、富士山麓に、オーナー研修道場「ローソン東富士ゲストハウス」を開設し運営していく時に、活かされる事となる。

 

(以下次号)
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