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鈴木貞夫のインターネット商人元気塾
鈴木貞夫のインターネット商人元気塾【バックナンバー】

鈴木貞夫

1956年一橋大学卒、同年現池袋パルコ入社、1976年サンチェーン代表取締役社長、


1989年ダイエーコンビニエンスシステムズ代表取締役副社長、1995年ローソン相談役、


1999年ローソン親善大使。現在ソフトブレーン・フィールド(株)特別顧問。


1992年(社)日本フランチャイズチェーン協会常任理事、副会長を歴任 。鹿児島出身

鈴木貞夫氏(すずきさだお)
1934年1月3日生

【6月号】


<コンビニ創業戦記> 第15回
・・・ローソンのルーツ「サンチェーン創業物語」・・・


「サンチエーンの創業」
<T・V・Bサンチエーン時代(その9)>
--「人材の城」創りへの挑戦--


昭和54年(1979)は、1月に第二次石油ショツクが発生し、日本経済に冷水を浴びせ、盛り場の夜のネオンが消えて、大平内閣が対応に苦慮した年であり、また6月には、日本で初めての先進国首脳会議・東京サミットが開催された年でもある。
さらにその10月、セブンイレブンは、東証2部にコンビニ企業として初の上場を果たし、高株価で流通業界の注目を集めた。


創業3年目を迎えたこの年の初めには、サンチェ―ンは全国で店舗数263店、社員数1000名に達しており、規模的には驚異的な大躍進を遂げていたが、反面、未解決の課題が多く、企業としての脆弱性も抱えていた。
私は、巨視的な意味での高い理想と目標をしっかりと見据えつつ、微視的な意味での足元の日常的・現実的な課題を一つ一つ地道に解決していく経営姿勢が不可欠だ、と考えていた。
そこで、年間経営テ―マを「決戦の年」と定め、年度基本経営方針として、
「五つの指針」
1・日本一チェ―ンに挑戦する
2・それぞれの地域で勝利する
3・経営効率を高める
4・組織力を強化する
5・実力経営人材に育つ・育てる
を発表した。


企業成長と経営成果の確実な実現には、社員の総力の結集、即ち全員の叡智と情熱の結集が不可欠である。
急成長していく中で、何よりも全員経営者体制、総員主体者体制創りへの努力が求められていた。
私は、社長として、三つの対応策を実践することにした。
一つは、一人一人の社員への「ストロ―ク」の実践である。
二つは、組織強化策である。
三つは、組織的一体感の醸成策である。


第一の「ストロ―ク」とは、心理学の用語であり、「他者の存在を認める働きかけ」を意味する。
人間誰しも、他の人から認められたいという欲求を持っている。
お互い同士で認め合い、真の触れ合いが持てれば、人は生き生きするし、自分自身に自信を持つことが出来、一層能力を発揮するようになるものである。
人間は、「ストロ―ク」を受けるために生きているとも云える。
私は、社員一人一人との間に、そういう関係、「心の絆」を築きたいと願っていた。
具体的に私が実践したのは、「誕生日祝いの葉書」(バ―スデイ・メツセ―ジ)を出す事と、社員との一対一の「社長ロマン対談」の実行である。


「誕生日祝いの葉書」(バ―スデイ・メツセ―ジ)は、毎月50枚から100枚前後、その月に誕生日が来る社員全員一人一人に、お祝いと心を込めた期待の言葉を、乱筆ながら自筆で書いて、出し続けた。
昭和63年(1989年)にロ―ソンと対等合併するまでの約10年間、途切れる事なく、書き続けた。
恐らく、累計すると1万枚以上の「誕生日祝いの葉書」(バ―スデイ・メツセ―ジ)を、出した事になるだろう。
親御さんから感謝のお手紙を頂いたり、後年、お店を訪問した際に、独立されていたチャレンジオ―ナ―さんから、その葉書を大切に記念として保管されているのを見せて頂いたりした事があるが、当時、社員の皆さんが、少しでもそれぞれの心に留めてくれたのは、有り難い事と思っている。


「ロマン対談」は、毎月10人から20人の店長達一人一人との個別対談という形で行った。
堅苦しいものではなく、お互いにしつかりと握手した上で、人生の夢やサンチェ―ンに賭ける心意気、現状の課題など、腹蔵なく、熱く、語り合うものであつた。
回を重ねて、延べ700人を超えたと思う。
やがて数年後に、店舗数が700店舗を越える頃には、「SV社長塾」として毎週定期的開催の形に発展していく。


第二の組織強化策は、「経営体制の強化」と「店舗運営組織の事業部化」及び「一人一月一提案運動と総員プロジェクトチ―ム活動」の導入である。


「経営体制の強化」は、昭和54年3月、(株)T・V・Bの小松崎社長と相談の上、T・V・B本体から三人の人材を招いた。
手塚氏は副社長、那花氏は管理担当専務、大原氏は業務担当専務に就任をお願いした。
更に加えて9月には、私の丸物百貨店時代の同期入社で、当時、池袋西武百貨店の食品部長を務めていた狩野成之さんを熱心に口説いてスカウトし、常務に就任して貰ったのである。
これにより、経営陣は重厚となり、経営基盤の充実と本部管理機構の合理化を促進して、500億、1000億企業の実現を狙う布陣となった。
「店舗運営組織の事業部化」とは、営業機構のお店重視型再編成を図り、運営組織の数値責任の明確化と、自立意識および競争意欲を高めようとする目的であった。
昭和54年3月、首都圏を7事業部に編成すると共に、広域は、(株)北海道チェ―ン(平木常務)、(株)東北サンチェ―ン(澤田常務)、(株)東海サンチェ―ン(小堀常務)、(株)九州サンチェ―ン(内海常務)に、それぞれ子会社として独立させた。
関連会社は、(株)関西サンチェ―ンを含めて9社体制となったのである。

 

(以下次号)

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